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没後120年記念 絵画の冒険者 暁斎 Kyosai—近代へ架ける橋

幕末古写真ジェネレーター使用”
B1235

帰省中、京都国立博物館で開催中の「没後120年記念 絵画の冒険者 暁斎 Kyosai—近代へ架ける橋 」と、京都国際漫画ミュージアムで開催中の「暁斎漫画展」を観てきた。
 
今回、暁斎という人の画を見て、『器用貧乏』という言葉が浮かんで仕方がなかった。
120年忌と言うことで、凄まじい点数の画を見たが、見れば見る程そう感じてしまう。
 
暁斎が嫌いなわけではない。
彼の個性の強さも、技術も、発想も、色彩のセンスも、遊び心も類を見ない素晴らしいものだと思う。今回の展覧会で見た彼の修正だらけの下絵から見える、凄まじいばかりのこだわりも凄いと思う。
どんな画題でもこなし、酔った上での早描きですらあの上手さ。感嘆に値する。
 
が、何でも描けてしまう彼が魂込めて描きたかった画が、私には見つけられなかった。
一本の描線に心震え、一枚の画に吸い寄せられ離れられなくなる、そんな鬼気迫る画に出会えなかった。だからサラッと流せてしまい、2時間ほどで見終わってしまった。
強いて上げるなら、『大森彦七鬼女と争うの図』と『枯木寒鴉図』がそれに近いか。
 
ふと考えたのは、彼は画において芸術家ではなく職人だったのではないかと言うこと。(この場合、芸術家と職人の間に優劣はない。自分の為に描くか、他人の為に描くかの違いと考えて下さい)
己から迸り出る何かを常に画筆を握りしめ吐き出し続けないと狂ってしまいそうな切迫感(言い換えるなら視野狭窄、他者を巻き込む狂乱の熱)はそこにはない。
ただ、受注されたものを己の持てるもの全てを駆使して描き切る、一歩引いた立ち位置(言い換えるなら同化せぬ他者の視点、対岸の火事を見る目)で描いていたのではないだろか。
自分の熱に左右されない技術は冴え冴えと冷たく研ぎ澄まされ、それこそ画題を選ばず炸裂する。(しかし、感応する熱は存在しない)
そんな天才的職人絵師だったのではないだろうか。
何の裏付けもない勝手な妄想ではあるが、そんな事を考えたのだった。
 
で、妙に悶々とした状態で『暁斎漫画展』を見に行ったのだが、こちらを見て少しすっきりした。
少なくとも、浮世絵や風刺画からは描いている楽しさが見えるように思ったからだ。
まぁ、私と暁斎の馬が合わなかっただけかもしれないが、色々考えて面白い展覧会だった。
 
以下、覚え書き。
「飴天狗図」は蝿見て描いたに違いない。
「地獄極楽めぐり図」「書画会図」「墨合戦図」この辺は漫画展に通じる物があって柔らかい。
「吉原遊宴図」不機嫌な若旦那の男前っぷりに惚れ惚れ。
「新富座妖怪引幕」大きいということはそれだけで力なのだと。首、首が良い。
「眠龍図」この構図好きだ。
「北海道人樹下午睡図」コラージュ的(?) ...etc.etc.

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