大琳派展〜継承と変奏〜
“季節外れ”
東京国立博物館で開催中の『大琳派展〜継承と変奏〜』に行って来た。
会期も後半過ぎているけれど、大好きな宗達の槙檜図屏風(槙楓図屏風じゃないよ、地味な方だよ)は11/5からの公開だったので、それに合わせて。
好みだったのは、宗達「槙檜図屏風」、光悦「黒楽茶碗 銘 雨雲」、光琳「蔦図香包」「竹梅図屏風」「燕子花図(屏風じゃない)」、抱一「月に秋草図屏風」あたり。
後は、宗達「白象図杉戸」、光悦の「群鹿蒔絵笛筒」、光琳「秋草図屏風」「孔雀立葵図屏風」「八橋蒔絵螺鈿硯箱」も結構好き。
お目当ての槙檜図屏風は、入って直ぐにあって思わず見入る。照明は『対決展』の時の方が、微妙な深緑色が鮮やかに見えて好きだったかもしれない。淡い黒濃淡が金箔を透かす明るい月夜の様な雰囲気は、相変わらず溜め息もの。
この屏風は印刷物では色が全部黒に潰れるから、生で見ないと魅力が全然分からないと思う。
閉館時間ギリギリの10分間、独り占め状態満喫。幸せ。
今回の目玉「風神雷神図」シリーズ、屏風3双と襖一つはさすがに迫力。部屋の中心に立って4つを均等に見るのが楽しい。やっぱり、宗達がいっち好き。
先日茶友と飲みながら、何故自分が宗達の風神雷神図屏風がこの中で一番好きか、を言葉にしたらストンと自分でも納得した。宗達のが一番色のトーンが揃ってるからだ。背景の落ち着いた金の色と風神雷神の色合いが同じ階調にあるんだと思う。特に主線の色が光琳、抱一は強い黒なのが気になる(他の色もだけど)けれど、宗達のは茶っぽいグレーなのがくすんだ金に浮かない様に思うのだな。それが保存状態の悪さに寄るものだとしても、現代の我々が見られる状態での評価しかしようがないので、それで良いと思う。
余談だが、解説文に『光琳は宗達よりも構図の安定感を得るような画面構成を目指した。ここに宗達と光琳の資質の差がより強く表れている(解説文より引用、図録より松嶋氏の文章と推測)』とあったのが、とてもイヤ。(特に下線部の言葉をわざわざ使った所が)美術品なんか好きか嫌いで良いじゃないか。わざわざ書く必要ある文章にはとても思えない。
しかし、こうやってトータルで各人の個性を見つめると、琳派ってデザイン集団だなぁと思う。
特に光琳はリズム感のある構成が美しいと感じる。「孔雀立葵図屏風」の立葵の丸い花の並ぶリズム、「竹梅図屏風」の断ち切った寸詰まりの画面で濃淡・太い細いの竹のリズムを梅で崩す計算とか、見てて飽きない。
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Comments
>ここに宗達と光琳の資質の差がより強く表れている
これは、別に、どちらが上とかじゃなくて、単に資質が違うという話なので、特に問題はないような気がします。確かに、宗達と光琳は、同じ派で括るには資質というか方向性が違いすぎるし。元々、光琳のは、宗達のをトレースして書き直したものだし、同じ「絵画」という土俵では比べられないというか、絵描きとデザイナーは最初から違うというか、そういうことが書きたくて「資質」という言葉をつかったのではないかと思うのです。
あたしも、今日、行ってきました。
風神・雷神、一番すきなのは宗達ですが、次に好きなのは其一でした。絵を描いてるのは、その二人だと思うのでした。しかも、其一のは、もう神と言うより妖怪みたいになってて、それがまた溜まりません(笑)。
あと、宗達の象と鹿が好きです。特に落ちてくみたいな鹿に泣きました。
Posted by: のーとみ | 2008.11.07 10:07 PM
あ〜、性質の差と捉えれば良いのですね、能力の差と読んだ私はひねくれ者でしょうか?でも、どっちも「資質」という言葉の意味なのですよね。
言葉は放った瞬間に一人歩きし、受け手によっては本人の思っていない解釈をされる恐さがありますから(のーとみさんにこんなこと言うのも失礼ですが)、大変ですねぇ。
>>風神・雷神、一番すきなのは宗達ですが、次に好きなのは其一でした。
あ、同感です。其一のは目がいっちゃってて(特に風神)すごいなぁと。後の屏風については出光でさんざお話し致しましたねぇ。(笑)
ところで、鹿って平家納経の見返しのヤツですか?
Posted by: 恵 | 2008.11.07 11:43 PM